原発が無理ゲーな7つの理由【中編】

生活全般

中編にあたる本稿では、原発についてどうすべきなのかについて、特に瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」に収められた「特別編 原子力発電をめぐって」を引き合いに出しながら、議論を深めます。

原発についてどうすべきか

まず、筆者自身の考えについて以下に述べます。

結論:新増設およびリプレースをしない。現有設備も速やかに廃炉。それにより被る影響はもともと原発が無かったら被るべきだったもの及び、いったん原発を導入してしまった過ちゆえに被るべきだったものとして甘んじて受けるほかない。

理由:

  1. 人間はそもそも必ず過ちを犯すものであり、原発事故を100%防ぐことはできない
  2. 人間は、物理的に住む場所を必要とし、食物作りにも物理的な場所を必要とする限り、それらを奪われる確率があるものを許容できない。したがって、それらを奪う可能性のある原発も許容できない。
  3. 放射性廃棄物が自宅の家の隣に埋められてもよい人はいない。プルサーマル持ち出す人いるかもしれませんが、できてから言ってきてと言いたい。
  4. 原子核工学に人生を捧げてもよいという志を若い技術者に押し付けることはできず、必要数を満たす原発技術者を長年にわたり安定的に確保することは事実上できない
  5. まだ使える現有設備も速やかに廃炉すべきなのは、いまいる原発技術者が働けるうちに、道筋をつけるべきだから。これが前項のように若手技術者に期待できない以上、技術力が先細ってからでは、廃炉したくなった時に廃炉できなくなってしまう。技術が空洞化していた三菱スペースジェットが自社技術者による開発を諦めたように海外にいる技術者を引っ張ってくるにも高額な手当が必要となり、電気料金への上乗せが発生する。
  6. そもそも事故が起きたら技術者が育たなくなるような技術を導入したこと自体が間違いで、サンクコストに引きずられて誤った判断を放置するほうが、より将来を危うくする
  7. 上記1.~6.を乗り越えて議論をまとめられる人(政治家でも誰でもよい)が日本にはいない

では、冒頭にあげた対談での発言と対比して、議論を深堀りしていきたいと思います。

(原発がなくなると)生活水準は下がりますよね。(中略)原油とか天然ガスとか、ほとんど海外から輸入に頼ってますよね。(原発が)再稼働しないまま、そっちのエネルギー源が断たれると確実にいろんな生活が不自由になってインフレにもなるし、経済的に苦しくなります。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」で取り上げられている「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。()内は筆者追加。

これについては、完全なポジショントークで、原発のエネルギー源も海外に頼っているので、原油や天然ガスだけに着目するのはナンセンス。さらにエネルギーを生み出すほうしか着目していないが、廃棄物の問題も置き去り。

最新型の原発って、例えばこないだの福島第一みたいな状態になっても安全に停止できるんですよね。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

起きうる災害は、津波だけではありません。津波を防げるから最新型なら大丈夫などと安易に考えてよいものではありません。常に、自然は我々の想定を上回って襲い掛かってきますし、人は操作も判断も誤る。福島第一では、事前に津波の懸念が呈されていたのに、関係者は正しく判断、対処できませんでした。想定できたものすら正しく対処できない人間に、想定を上回る被害に対して万全に準備することなどできると考えるのが思い上がりです

経済が悪くなると、自殺者も増えるし。死亡率が増えるだけ

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

原発をやめた後に仮に経済が悪くなったとして、まず経済が悪くなったのが原発のせいだけとは誰も断言できないでしょう。さらに自殺する人が仮に増えたとして、それが経済が悪くなったからなどと、単純に結論など出せるものではありません。事実、コロナ禍の2020年、自殺が増えたという報道がありましたが、それが本当にコロナによる経済苦だとの結論を誰も出せていないし、万一そうかもしれない事態を目の当たりにした政府・政治家・日本人が、政策を変えようとした形跡はありません。

結局、日本人がどちらを選ぶかというと、冒頭の政治家しかり、誰も矢面に立ちたくないし、責任取りたくないから、選ばないという選択を取ることになるでしょう。

選ばないとどうなるかというと、新増設及びリプレースができないうちに1世代30年を何世代か繰り返すと、まともに原発を維持したり、廃炉したりできる技術者もいなくなり、誰も触れない廃墟だけが残るという絵姿になると予想します。

もともとの耐用年数を超えた原発を無理に使い続けたら、それこそ老朽化による事故を招きかねません。もしそんなことになれば、原発技術者の離反をさらに加速させることになりかねません。

(大飯原発運転差し止め請求で「原発の稼働は経済活動の自由に属し、憲法上は人格事件の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ」との福井地裁の判決は)基礎的な経済の知識がないなあ、なんて思っちゃいましたが。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

経済の問題ではないものを経済の問題に持ってくる単なる論点のすり替え、堀江氏の価値観と法律(国民の大多数)の価値観が違うだけです。

貧しくなったら確実に死ぬ人増えますよ

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

上でも述べたが、原発やめたら貧しくなる、貧しくなったら死ぬ人増える、って今まで原発を推進してきて、失敗した人の論理で短絡的です。しかも日本には、死ぬ人が増えるからと言って腹を括って物事を進めるリーダーが不在ですから、この状況を打破して推進するか、完全に止めるか、どちらについても、話をまとめられる人はいません。そうなったら、原子力発電所とその存在意義自体が自然消滅します。逆に言えば、反対派にとって、時期はともかく望む未来が約束されていると言ってもいいでしょう。

プルサーマルが解決してくれるなど技術的な対策を持ち出すなら、核融合発電だってやっていて、どちらが難しいかなんてどちらもできていない状態では誰も何も言えないです。

みんな貧しくても楽しい我が家みたいに思ってくれるならいいですけど(中略)みんな卑しいんですよ。物欲とかがすごいんですよ。(中略)そんな人たちに「貧しくてもいいよね」とか(中略)説いても、無理ですよ。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

「卑しい」ついては、堀江氏はどうかわかりませんが、筆者は当てはまるし、自分の家の隣に放射性廃棄物捨てられたら嫌なのに、安い電気料金がいいという人はみんなそう。「貧しくてもいいよね」と説いても無理なのはわかりますが、それ以上に誰しも「原発、家の横に立ててもいいよね」と説いても無理な「卑しい」人ばかりなので、原発は無理と言っているわけです。

(食いつめ者の優秀じゃない人に原発任せても大丈夫?って)訴えても届きませんね。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

当然でしょうね。大多数は原発無理だって思っていますから。

(原発が日本にない状態で)「作るな」っていうのは、それはそれでありな判断だと思いますよ。でもあるんだから。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

サンクコスト(sunk cost、埋没費用)。サンクコストとは、ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を指す。

ぶっちゃけ別に(原発が)僕はあってもなくてもいいんですよ。

瀬戸内寂聴 堀江貴文著「生とは、死とは」の「特別編 原子力発電をめぐって」より堀江氏発言部分抜粋。

それが本音なのでしょう。推進派だけど、自分が前面に立って、という人は昨今見られません。それが現状だと思います。その現状を踏まえると今後日本の原発はどうなっていくのかについては、次回「原発は今後どうなっていくのか」で述べます。

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